
| 注意 このページは私が考えていることを日記的につけていくいわばインターネットにおけるゴミです。検索エンジンに自動登録されてみなさまの邪魔にならないといいのですが。 勝手にいろいろ書きこんでいきます。不適切な表現があるかもしれません。あまりにひどいと思われた方、ご面倒ですが私までご連絡ください。 |
11月21日 第17回 天気予報投票だ!
へんてこなアイデアを思いついたのでここに書いておくことにしました。最近天気予報って当たらないですよね。世界に誇るスーパーコンピュータをずらずら並べて考えてるのに。そのうち世界のちょうちょのはばたきのパラメータとか必要になるんじゃないかしら。そこでシゲキチ考えた。天気予報をね、オッズにするの。晴れとか曇りとか降水確率とか。天気予報をする人(予報者)は携帯からあるサイトに投票する。たくさんの人が投票すると明日のお天気オッズが出る。天気予報してもらう側の人(予報依頼者)は一定の料金を払ってそのオッズ表をみる。当然倍率の低い天気が明日の天気予報。予報依頼者から支払われた料金は天気を当てた予報者にオッズに応じて分配されるの。とても良いアイデアだと思ったんだけどな。だれかやってくれないかな。
12月21日 第16回 押し売り?
クリスマスだそうです。おんもに出ると店という店がかなりの前のめり姿勢でクリスマスだということを教えてくれます。そんなこと知ってます。もはやここまでくるとクリスマスの押し売りですな。と思います。「クリスマスなんだからさぁ、なんか買ってよ。」この言葉は以外にもお店やさんの言葉でもあったんですね。
12月14日 第15回 年末
歳の瀬です。今年はいつのまにかあと半月しかありません。一年の長さを実感できるのは12月だけだなあと妙に感慨深いです。今年はいままでで最も早く過ぎたように感じた一年でした。私よりも年上の人は異口同音に「歳を重ねるごとに一年が短くなることはあっても長くなることはないよ」と教えてくれるのですが、今年よりも短くなっていくのかと思うと本当に怖いですね。私はあまり長生きしそうにないので(周りからは「じじいになってもピンピンしてそう」といわれるのですが)感覚的にはもう人生半分は生きたってとこでしょうか。あと半分しかないよといわれてもどうしようもないものはどうしようもないんですが。…ねえ。そういえばアラーキーさんの0歳から100歳までの人を写した写真を見ると人生を考えさせられるんだろうな。
12月14日 第14回 環境にやさしい?
エンジンをきれいにするガソリンができたらしい。驚いたのはそのガソリンの広告が環境に配慮してあるようにつくられていることだ。実際、紙面広告には「環境にやさしそう 主婦(37)」みたいな意見が載せてある。私の頭の中は”?”マークでいっぱいになってしまった。なぜならエンジンをきれいにした分の煤塵は確実に空気中に撒き散らされるはずだからだ。それは環境に厳しいといわずになんというのだろう。うーん、まったくわからん。
9月15日 第13回 「ちゃんつか」
さて。というわけで、とりあえず復活させます。あーでもないこーでもないと考え好きなシゲキチですが、これには急所を突かれました。「ちゃんつか」。略さずにいうと「ちゃんとつかまえててよ」。こういう思考回路になってるんですね、女の子って。男の子には、少なくとも私にはこういう思考回路はありません。最近この言葉を頭のどこかに引っ掛けているので、女の子の考えが全部これにつながっているような気がしてしまいます。要するに「単純なわがまま」な気がします。エゴイズムのかたまり!
こんなことをいうとかなり女性陣にクレームをいただきそうですが、私にとってその生き方は永遠に憧れの的であるということを付け加えておきます。
7月24日 第12回 自我自賛で2段
まあ世の中ほんとにいろんな芸があるもので、書道だの剣道だのといった道と名のつくものからピアノや陶芸や編物といった幅広い芸事までさまざまあるものですな。それで、今回は「初段」のお話。芸事で初段というと、大雑把にいって、それだけの技量があれば、まあ恥ずかしくないというようなレベルだと思われます。そのころになるとやった分だけうまくなるので一番楽しさを感じることができるレベルじゃないかと思うんであります。私シゲキチは将棋、剣道、書道などをやっておりましたが、それらについてはだいたいこれがあてはまると思うんですな。一方初段の壁を越えるとどうなるかというと、「続けてないと技量が落ちる」状態になるんですな。初段までにはどうやったら上手くなるかとか自分に合った練習方法だとかをそこそこ見出してるものですから、初段より上は自分をどれだけそれに費やしたかで決まってくるんじゃないかと、そう思うんであります。そこで、今回私の写真の腕を私なりに自己診断したわけです。で、自我自賛の結果は2段そこそこ。だからどうってわけじゃございませんが、着実に腕は上がっているんだなと思った次第。
7月11日 第11回 夢のひととき part2
近頃、朝6時に目が覚める。そんなに寝るのが早いわけでもない。二度寝の睡眠も浅いのでしばしば夢を見る。今朝はすごかった。夢の中で相手のアゴめがけて膝蹴りを食らわしてKO のはずだった。しかしである。私の全力の膝蹴りがアゴに入るだいぶ前で、現実の部屋のカベに思いっきり当たった。ドーンという地響きとともに目が覚めて、またひざの痛さにもんどり打った。本当に膝蹴りのアクションをかましていたのである。名づけて「寝ひざげり」。「寝言」はよくいうほうである。一昨日は女性の名前を叫んで目が覚めた。それが誰だかいまだに不明である。「寝笑い」もよくするほうだ。これもかなり幼いときからしていて、母親によく気味悪がられたらしい。「寝泣き」で起きたことはまだないが、目が覚めたとき泪にくれていたことはある。夢の中の私も相当感情の起伏が激しいらしい。
デジャヴ現象もいまだに時々ある。怖いのはその夢の続きを思い出すことである。その通りになるときとならないときがあってなんとも言えないが、あちらの世界の入り口のようでとっても怖い。チベットの高僧達は起きながらにしてずっと夢の世界にいってしまってお帰りにならないらしい。日本でも明恵という高僧がそれに似た症状だったらしい。私の「寝ひざげり」もそんな症状の一つかもしれない。
この際、
「早くに目が覚めるのは年をとっただけだろ。だいたい二度寝をするな!」
というとても真っ当な意見には「ソレハニホンゴデスネ」と答えて解らないふりをしよう。
7月1日 第10回 夢のひととき
ワールドカップもとうとう終了。ブラジルは強かった。ロナウドさん、その髪型はさすがに流行らないらしいよ。私が生きている間にはもう日本での開催はないだろう。テレビで「…夢のひとときでした。…」といっていたが、いい得て妙である。4年後ドイツでワールドカップが開催されるときにはテレビをみている周りのだれかが必ず言うにちがいない。「4年前はこれ、日本でやってたんだなぁ。」。私にもし孫ができたら聞かれるかもしれない。「おじいちゃん、日本でワールドカップあったんでしょ?どうだった?」って。私は必ずこう答えるだろう。「そんなこともあったなあ。」。だから、夢のひととき。
もうひとつ。ブラジルの「喜びかた」が印象に残った。このひとたちは喜びかたを知っていると思った。きっと普段から喜んでいるひとたちなんだろうなと思った。だから私も小さなことから喜んでみようかなと少し思った。今日洗濯物が乾いていたら、部屋で少し踊ってみようかな。
6月26日 第9回 都市社会はイライラでできている
車の運転が結構好き。でもあれほどイライラするものもない。京都はタクシーを見習ってか、マナーの悪い車がほんとに多い。ありえないところから平気で割り込んでいらっしゃる。特に24号線は割り込み天国なので嫌いだ。
それで渋滞で待っているときに考えたのが、都市社会はイライラでできているんじゃないかということ。勤労者の方々は平日に一生懸命何をしてるかというと仕事してるんじゃなくて一生懸命イライラを貯めている。それで週末にはイライラゲージが満タンになっているので、普通買わないものを買っちゃったりする。電池とか。その繰り返し。時には平日にもイライラゲージが満タンになってしまって、終電で口からバブルスライムを生んだりする。癒し系がなぜこんなに必要かというとみんな一生懸命イライラを貯めているからだ。
とここまで書いて、自分が悲しくなったのでもうやめる。勤労者の方々、今日もお疲れ様です。
6月18日 第8回 サッカーについて
今日、ニッポンもとうとう負けてしまいました。ダメ人間シゲキチはもちろん生中継を観戦。次のワールドカップまでには次のさらに強い世代が育っていてほしいものです。将棋を趣味にしているわたしがふと思ったのは、サッカーには必勝法は存在しないのだろうか?ということです。ボードゲームの世界をみると、オセロやチェスではもはやコンピュータに勝てる人間はいないといっていいでしょう。囲碁はかなり時間がかかりそうですが、将棋はあと10年でコンピュータが名人を破ると言われています。あれだけ複雑なボードゲームである将棋でさえプロ同士では先手がわずかながら勝ちこしています。少なくともコーナーキックからほぼ確実に決めることのできるパス回しや蹴り方とかないのでしょうか?サッカーファンの方々にはヒンシュクものの意見だな。
6月2日 第7回 老化?
思い出せない。記憶の引き出しにしまったのは覚えているのだがどうも最近?その引出しを開けられない。一昨日は街路樹の「アメリカスズカケノキ」(プラタナス)を思い出すのに2,3時間かかった。昨日は魁!男塾の四天王の名前を思い出すのに10分ほどかかった。卍丸は最初に思い出したのだが、次にエイケイ(漢字忘れた 影慶?)、さらにセンクウ、最後まで出てこなかったのが羅刹であった。私の脳味噌も例にもれず老化が始まったらしい。おばちゃんの会話にはしばしば、「あれがあれしてさあ。」「うん、うん。」というのがある。(通じているところがすごいのだが、)私も下手をするとその仲間入りをしそうである。年をとるにつれ、だんだん思い出すまでの平均時間が長くなっていくのだろうか。すぐに思い出せればそれに越したことはないので、そうならないように思い出す訓練をしたほうがいいのかもしれない。さて、今日は何を思い出そうかな。いくやまいまいおやいかさかさ…。頭文字だけおぼえているのだが一人一人の姓名が思い出せない。日本の歴代総理大臣名に決まり。つらつらと思い出しながらビールでも買いに行くとしよう。
5月25日 第6回 汗顔の至り
どうもわたしは言葉遊びが好きらしい。今回は「汗顔の至り」。大河ドラマでみつけたのだが、リアルにイメージすると笑ってしまう。上司に睨まれたホワイトカラーに似合う言葉とでも言おうか。がまの油ではないが、なんだか「こゆい」液体が顔中から噴出して必死でぬぐっている、そんな姿を連想する。なんたって「至って」いるのであるからもうすごいのである。後から後から噴き出して止まらないのである。したたり、正に落ちんとする汗を寸前のところでぐしゃぐしゃのハンカチで受け止め受け止め、わびを入れるのである。
私も恥の多い人生を送ってきた。これからも数知れずそれはやってくるに違いない。そんなときは使ってみよう。言った自分に笑ってしまわないように気をつけながら。
「汗顔の至りにございます。」
5月21日 第5回 酒はのんでものまれっぱなし
少し前の酒をのんだ朝、右手親指に2センチほどの切り傷を発見するもまったく覚えていない。最近酒をのんだ時の記憶をしばしばどこかに置き忘れてきてしまう。半年くらい前には朝起きたら眼鏡が平たーくなっていた。話によるとどうやら机に向かって顔面プレスをかましていたらしい。覚えていないことのやっかいなのは自分の記憶が他人によって後から形成されることだ。「うーんそうだったかな??」と思いつつも自分が覚えていないのでそれを信じるしかない。この前、友人から突然電話がかかってきて「今日ボーリングいくんすかぁ?水族館もいくっていってましたよ。」といわれたときはさすがに困った。「…ごめん、覚えてない。」
みなさんお酒はほどほどに。
5月15日 第4回 大切な…
ある言葉が急にリアルなイメージをもって迫ってくることがある。普通に会話のなかで、あるいは文章の中で出てくる言葉を、そんなときに耳にすると妙に納得できるというか実感を伴って私の中に入ってくる。しかしその言葉の意味を説明せよといわれてもほぼできないし言葉上はその前後でなんら変わりない。今回の場合、それは「大切な」であった。普段何気なく使っている「大切なもの」「大切な人」という言葉。あるいは「大切にする」という形でもよく使っているかもしれない。テレビのなかの「あの子が大切にしていた…」というフレーズでピーンと来た。
言葉にはタイミングがある。金○先生などはそのタイミングを100%外さない好例である。現実にはそんなことはありえず、うまく伝わらないことのほうが圧倒的に多い。そして自分という自己完結の世界においてもそれはしばしば起きるのだと思う。高校や中学の恩師が卒業式などの一大イベントに際して生徒に送る言葉はそれを狙っているのだな。忘れちゃったけど。
5月10日 第3回 蛍光灯の死
今日会議室の蛍光灯が死んだ。しばらくチカチカしていて気になっていたのだが、ボーッと見上げているといきなり激しく点滅をしてそれきり点かなくなった。蛍光灯が死ぬところを初めてみた。普通は一回消した後にもう点かなくなるか、点けているときに消えたとしても明るさの変化を感じるだけだから「死ぬところ」そのものを見たことがなかったのである。
当然ながら周りの蛍光灯は相変わらず点いたままでとても静かだった。死ぬことに言葉はいらない。
今日会議室の蛍光灯が人知れず死んだ。
5月7日 第2回 ハトが俺を呼ぶ。
最近なかなか寝付けない。いや、寝付きが悪いのは今に始まったことではないが、このごろは4時半もすぎると空が紺色に染まる。しょーもないことをうつらうつらと考えていると朝日が昇る。ようやく目がしょぼしょぼして一日の始まりに怒りを覚えるそんな時間帯にヤツはくる。
「クルーッ、クルーッ。ポ。ポ。」
私はしがないアパートの3階に住んでいる。外から見る限り、他の部屋とどこも変わらないと思う。しかし朝の6時45分ごろ必ず私の部屋のベランダにハトが来るのだ。それも一羽。大抵、私のベランダへの窓は20センチほど開いている。脅かさなければ、テケテケと入ってくる。テレビがついている時はきょとんとしてしばらく見た後、満足したのか勝手に出て行く。
餌付けをしたこともなければ、一度だってエサを撒いたこともない私の部屋になぜ毎日のようにヤツが来るのかさっぱりわからない。が、あのハトは確実に私を呼んでいる。なんだかわからないが、ベランダへの窓は明日もたぶん20センチ開いている。
5月5日 第1回 人間はだんだん足が速くなる?
さて第1回。なにを書こうか迷いましたが、とりあえず書かないと始まらないので最近ふと考えたこんなことをかくことにします。おばさんが娘とおぼしき5,6歳の少女の手をひいて歩くごく普通の風景。少女は母親の歩くスピードに合わせて歩く。その少女が大きくなると伸びた足の分だけ歩くスピードが速くなるはず。その少女の子供は、再び娘の手をひく母親となった少女の歩くスピードに合わせて歩くはずで、そうすると人間の歩くスピードは世代毎にどんどん速くなるはずです。
うそです。でもコンビニにいく途中でこんなことを考えてすこし楽しくなってしまいました。